「なんとかなる」——日々の選択を自分の答えにしてきた小泉さんの27年

「なんとかなる」——日々の選択を自分の答えにしてきた27年

——これまでで、人生最大の挑戦は何ですか?

「人生最大の挑戦は、したことがないかもしれないです」

小泉さん(仮)は、これまでの27年をそう振り返る。

高校から始めたラグビーでは部長を務め、県代表にも選ばれたという。大学から推薦の話を受けながらもそれを断って慶應大学を目指した。受験には失敗してしまったが、1年間の浪人を経て中央大学法学部へ進学している。

大学ではエイサー団体の会長を務めた。現在はファーストフード店の店長代理として店舗の運営や管理を任されている。

少なくとも筆者には、十分に挑戦を重ねてきた人生に見えた。だからこそ「人生最大の挑戦はしていない」という答えが正直意外だった。

それでも小泉さんにとってはどれも人生を懸けた大勝負ではないらしい。

好きな言葉は「なんとかなる」。

ここまでの歩みを聞く限り、物事を成り行きに任せてきた人には見えない。むしろ自分で考えたうえで努力できる人だと感じる。

そんな小泉さんは「なんとかなる」という言葉にどんな意味を込めているのか。その答えを探しながらこれまでの27年をたどった。


小泉さん(仮)
PROFILE INTERVIEW #006

小泉さん(仮) KOIZUMI

27歳|千葉県出身|ファーストフード店勤務・店長代理

高校からラグビーを始め、ナンバーエイトとしてプレー。部長を務め、県代表にも選ばれたという。1年間の浪人を経て中央大学法学部へ進学。大学では地域のエイサー団体で会長を務めた。卒業後に現在の会社へ入社し、ファーストフード店の店舗運営・管理に携わっている。

LIFE KEYWORDS
  • ラグビー
  • 浪人
  • エイサー
  • チーム
  • 選択
「なんとかなる」
CURRENT ファーストフード店勤務・店長代理
HOBBY サウナ・ゴルフ・お酒
FAMILY 父・母

A DIFFERENT FIELD
野球を離れ、高校からラグビーへ

小泉さんは千葉県で生まれ育った。実家は高速道路の近くにあり、都会らしさも自然もある場所だったという。

——どのような子どもでしたか?

「小さいときから活発でしたね。ずっと外で友達と遊んでいました」

水泳、ピアノ、野球を経験し、中学校では野球部に所属した。父は大学野球の監督を務めており、野球は身近な存在だった。

家庭では父は門限や寝る時間に厳しく、幼い頃には勉強もしっかりやらされた記憶がある。成長するにつれて、「好きなようにやりなさい」と任せてくれるようになった。母は優しかったと振り返る。

——なぜ、野球から離れたのでしょうか?

「自分にはまったく野球の才能がないと感じたからですかね。大した努力もしてなかったのにな、と今になったら思います」

「才能がない」と感じて野球を離れた。ただ続けなかった理由を才能だけのせいにはせず、「大した努力もしていなかった」と振り返る。その言い方には自分の過去を冷静に見ている小泉さんらしさが表れている。

高校で新しく選んだのはラグビーだった。ポジションはナンバーエイト。部長を務め、県代表にも選ばれたという。

——部長として、何を大切にしていましたか?

「自分の背中を見せ続けることです」

多くを言葉で伝えるより、まず自分が動く。その姿勢は現在の仕事にも残っている。

同じチームには小学生の頃から付き合いのある親友がいた。小泉さんが部長で、親友が副部長。試合では「背中を預けられる」と感じていた相手だ。

27年の人生のうち、およそ20年を一緒に過ごしてきた。今も近くに住み、飲みに行ったり出かけたりする関係が続いている。


ONE LAST MATCH
先輩を勝たせられなかった試合

——これまでで一番つらかったことは何ですか?

「高校2年生のときに、3年生の先輩を勝たせてあげられなかったことです」

それはラグビーの大会でのことだった。3年生にとって最後の大会で、負ければその試合で引退が決まる。チームは敗れ、小泉さんは先輩たちを勝たせられなかったことが悔しかったという。

——試合を終えたときはどのように受け止めましたか?

「非常に悔しい思いはしました。でも自分たちの実力を突きつけられたのも事実だなと感じました」

先輩を勝たせられなかった悔しさだけでなく、力が足りなかった現実も受け止めている。負けた試合を努力や絆だけできれいにまとめない答えが印象に残った。

高校卒業後もラグビーを続ける道はあった。大学から推薦の話も受けていたという。

——なぜ、慶應大学でラグビーをしたかったのでしょうか?

「単純にユニフォームがかっこいいのと、自分が慶應に行きたかったからです」

大学からの推薦を断る理由としては少し拍子抜けするほど素直な答えだった。けれど、「自分が行きたかったから」という言葉には、小泉さんの選び方がよく表れているように感じた。

目指したのは慶應大学。推薦を断ってまで自分で受験する道を選んだ。

ただ受験勉強にはあまり取り組めず結果は不合格。高校を卒業した小泉さんは浪人生活に入った。


BETWEEN PLACES
何にも属していなかった一年

——これまでに、挫折した経験はありますか?

「挫折は、浪人したことですかね」

ここまでの話だけを聞くと小泉さんは何でも器用にこなし、そのまま前へ進んできた人のように見えていた。だからこそ、浪人を挫折として挙げたことは少し意外だった。

慶應大学には届かず、高校を卒業しても進学先は決まっていなかった。その一年についてさらに聞いた。

——浪人中はどのように過ごしていましたか?

「自由に過ごしていました。勉強はもちろんするのですが、改めて勉強して世の中を知ることができたのは非常にいい経験でした。ただ、自分の身分がない、何にも属していないというのは、新しくもあり不安でした」

高校までは学校や部活動という所属先があった。浪人生になるとそのどちらもない。小泉さんの言う「自由」という言葉のすぐ隣に、「不安」が並んでいるのが印象的だった。

受験のために始めた勉強は、それまで知らなかった社会へ目を向ける時間にもなっていたようだ。

——これまでで一番うれしかったことは何ですか?

「これまでで一番うれしかったことは大学に合格したことですかね」

翌年、中央大学法学部に合格した。もともと法律系の学部を志望し、受験した大学のなかで合格した中央大学への進学を決めた。

目指していた慶應大学ではなかったが、それでも何にも属していない不安を抱えながら勉強を続けた一年の先にあった合格だ。一番うれしかった出来事として挙げるのも無理のないことだと思う。


ANOTHER TEAM
ラグビーとは違う場所で、もう一度人をまとめる

——大学ではどのような活動をしていましたか?

「友人に誘われて、地域団体のような形でエイサーをやっていました。会長も務めました」

沖縄の伝統芸能であるエイサーを踊り、やがて会長を務めることになった小泉さん。高校ではラグビー部の部長、大学ではエイサー団体の会長。小泉さんは特別なことのようには話さないが、気づけばいつも人をまとめる側にいるように感じた。

——会長として、どのようなことに苦労しましたか?

「コロナ禍でお祭りがなかったことですね」

集まることも、人前で踊ることも難しい時期だった。それでも最後には東京タワーの真下で踊った。小泉さんが大学時代の活動を振り返るなかで特に印象に残っている出来事だったという。

大学では教育実習にも参加し、地理を教えた。教師になることを強く望んでいたというよりも、父親から教員免許を取るよう勧められたことが大きかったそうだ。

ファーストフード店でアルバイトをし、エイサーを踊り、仲間と酒を飲む。小泉さんの言葉で表すなら、「サークルをやって、飲んで、バイトして」という大学生活だった。

高校時代の先生とのつながりも残っている。恩師として挙げたのは、ラグビー部の顧問と高校3年生の担任だ。

顧問は世界史の面白さを教え、勉強に興味を持つきっかけをくれた。

——歴史のどんなところに面白さを感じますか?

「『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があります。歴史を学ぶ面白さは、言葉を学べることや、なぜその事件や戦争が起きたのかを考えられることですかね」

小泉さんにとって歴史は過去の出来事を覚えるだけのものではないのだろう。

なぜ事件や戦争が起きたのか。その背景を考えながら言葉や社会について知っていく。筆者にはそんな面白さを話しているように聞こえた。歴史から関心が広がり、絵画や芸術にも興味を持っているという。

もう一人の恩師として挙げたのが、高校3年生の担任だった。

友達のように接しながらも義理と礼儀を大切にし、自分の芯を持っていた先生だと話す。小泉さんはそんな二人を今も尊敬している。


BEHIND THE COUNTER
「流れ」で入った会社で、店長代理になるまで

——今の会社に入った理由はありますか?

「流れですね」

小泉さんが「流れ」で物事を決めることなんてなさそうに感じていたが、返ってきたのはそんな言葉だった。

大学時代はファーストフード店でアルバイトを続けながら教育実習にも参加していた。だが就職活動には十分取り組めないまま時間が過ぎ、アルバイト先の本社から内定を得たという。

ただ、小泉さんが実際に入社したのは本社ではなく、店舗を運営していたフランチャイズ法人だった。

——どうして本社ではなくフランチャイズ法人を?

「これといって大きな決め手はないですね。強いていうなら周りの人がよくしてくれたことですかね。それでもなんとなくうまくやっていける自信はありました」

小泉さんはきっと就職先も明確な理由を持って選んだのだろうと勝手に想像していたが、返ってきたのは「周りの人がよくしてくれたから」というとても感覚的な答えだった。

その言葉を聞いて、経歴の向こうにいた小泉さんが少し身近に感じられた。

そうして大学卒業後に入社し現在まで3年半。
今では店長代理として店舗の運営や管理を任されている。

「流れ」で入ったと話す会社で3年半働き、人をまとめる立場まで来た。ただ流されてきただけではここまでは来られないようにも思う。

——仕事のやりがいを感じるのはどんなときですか?

「みんなで何かを達成したときです。自分がやってきたことが間違ってなかったと思えたときですね」

その一つが勤務する店舗で歴代の売上を更新したことだった。具体的な金額や店名は伏せるが、一人で生み出せる結果ではない。「みんなで達成したとき」と真っ先に答えたところにも店長代理としての姿勢が見える。

——ラグビーの経験は現在の仕事にどうつながっていますか?

「自分が先陣を切って物事を進めていくことですね。チームで何かを進めるときは、どのような人材をどうやって生かすかを考える癖もついています」

ラグビーで身についた考え方は、店で人をまとめるときにも生きていた。高校時代はグラウンドで、今は店の中で。周囲を見ながら自分が先に動く。働く場所は違っても部長だった頃の感覚は途切れていないようだ。


A WIDER WORLD
「なんとかなる」と思いながら、次の場所へ

——休日はどのように過ごしていますか?

「サウナへ行ったり、ゴルフをしたり、お酒を飲んだりしています」

最近は「ちいかわ」にもハマっているそうでかわいらしい一面も見られた。正直小泉さんの口から「ちいかわ」という言葉が出るとは思っていなかったので意外だった。休日の過ごし方から、話は小泉さんの好きなものへ広がった。

——好きな本や映画、場所を教えてください。

「好きな本は内田樹さんの『下流志向』です。映画は『レ・ミゼラブル』、場所は海が好きですね」

好きなものについて一通り聞いたところで、これからの人生について尋ねた。

——以前はどのような将来を思い描いていましたか?

「海外でバリバリ働く営業マンのようなことを夢見ていました」

海外で働くことへの関心は昔からあるようだ。現在も英語には触れるようにしているらしいが、具体的な準備を始めているわけではないという。

——これから、どのような自分になりたいですか?

「人を束ねるような人間になりたいですし、収入も上げていきたいですね。いい意味で社会に影響力を持てるとうれしいなと思います」

高校ではラグビー部の部長、大学ではエイサー団体の会長、現在はファーストフード店の店長代理を務めている。

「人を束ねる立場になりたい」と話す小泉さんだが、振り返ればすでに何度もその役割を担ってきた。小泉さんが思い描く将来はこれまでの経験と地続きにあるように感じた。

仕事や社会的な立場だけが小泉さんの望む未来ではない。

現在の夢は、幸せな家庭を築くことだという。

——理想とする家庭はどのような家庭ですか?

「『ただいま』と『おかえり』がある家ですかね。子どもは何人という希望はないですけど、いたらいいなとは思います。自分が稼いでくるから、妻には家にいて、家のことを任せるような感じです」

特別に豪華な暮らしではない。

家に帰れば「おかえり」と迎えてくれる人がいる。小泉さんが思い描いているのは、そんな「普通」がある家庭だった。

自分の将来について聞いたあと、今度は小泉さんを育てた両親へ伝えたい言葉を尋ねた。

——ご両親へ伝えたいことはありますか?

「育ててくれてありがとう。これから親孝行したいと思っています」

父親は門限や寝る時間に厳しく、幼い頃は勉強もしっかりやらされたという。ただ成長するにつれて、「好きなようにやりなさい」と任せてくれるようになった。母親には優しかった記憶が残っている。

小泉さんが両親へ向けた言葉は短い。けれど飾らずに答えるところも、これまでの小泉さんらしかった。

——人生で大切にしていることは何ですか?

「素直でいることですね。大体のことはなんとかなると思うことと、常に後悔しない選択をすることです」

その言葉を聞いて、もう少し踏み込んで尋ねた。

——これまでに後悔していることはありますか?

「後悔しないように生きています。今の選択が間違っていないと思いたいので」

「間違っていない」と言い切るのではなく、「そう思いたい」と話す。

後悔しないように生きていても、選んだ道が本当に正しかったのか迷うことは誰にでもあるだろう。その迷いまで消さずに話してくれたことで小泉さんの言う「後悔しない」の意味が少し分かった気がした。

すべての選択に自信があるのではない。自分で選んだ道だから、簡単には間違いだったことにしたくないのだ。

ここで小泉さんが好きな言葉として挙げた「なんとかなる」について、もう少し詳しく聞いた。

——小泉さんにとって「なんとかなる」とは、どのような言葉ですか?

「どうしようもない状況のときって、大抵は諦めたりしちゃうと思うんです。でも『なんとかなる』と思ったら、人ってなんとかするもんだなって思います」

——そう考えるようになったきっかけはありますか?

「きっかけは何だろうな。特にないんですけど、自分が諦めちゃったら、それで物事が終わっちゃうのはなんか違うなと」

小泉さんの「なんとかなる」は、何もしなくてもいつか状況が変わるという楽観的な言葉ではなかった。「なんとかなる」と思うからこそ諦めず、なんとかするために動く。自分が諦めないための言葉なのだと思う。

——人生を変えた出来事を一つ挙げるとしたら何ですか?

「人生を変えた出来事は、日々の選択ですね。常に新しいことをやってみた結果が今です。なので人生は常に変わり続けていると思っています」

この質問にも小泉さんは一つの出来事を選ばなかった。

野球を離れてラグビーを始めたこと。大学からの推薦を断ったこと。浪人したこと。友人に誘われてエイサーを始めたこと。そして、「流れ」で今の会社へ入ったこと。

そのときは何気なく見えた選択も、次の場所へつながっている。小泉さんにとって人生とは、大きな転機によって一度に変わるものではなく、毎日の選択によって少しずつ形を変えていくものなのだろう。

年齢を重ねるにつれて行動範囲が広がり、関わる人も変わった。勉強すればそれまで知らなかった社会が見えてくる。そうした経験を重ねるなかで、小泉さんは世界が自分の想像以上に広いことを知ったという。

——最後に、LIFE MEETSを読んでいる人へ伝えたいことはありますか?

「世界は自分が思っている以上に広いです。どんなにつまずいても、自分を見て非難する人は全世界の人口で見たらちっぽけです。広い世界を知ろうとすればするほど面白さは出てくるんだと思います」

県代表も、浪人も、エイサー団体の会長も、店長代理も、小泉さんにとっては「人生最大の挑戦」ではない。

好きな言葉は「なんとかなる」。

「なんとかなる」と思えば、人は諦めずになんとかしようとする。小泉さんにとっては、自分を前へ進ませるための言葉だった。

まだ人生最大の挑戦を経験していないという小泉さんが、いつか何かを「挑戦」と呼ぶのか。その先の話もまた聞いてみたいと思った。

小泉さんへ相談や感想を届けたい方は、この記事のコメント欄へ。


取材後記

小泉さんにインタビューをしてみて「あぁ、この人かなりできる人なんだろうな」と率直に思いました。

経歴だけを見ると何でも器用にこなし、そのまま前へ進んできた人のように見えた。少し隙がない印象さえあった。

なので挫折した経験として「浪人したこと」を挙げたとき、私は少しほっとしてしまった。

もちろん人の失敗を聞いて安心したわけではありません。小泉さんにも、どこにも属していないことに不安を感じた時間があった。それを知って経歴の向こうにいた小泉さんが少し近くに感じられたからです。

今の会社へ入った経緯を小泉さんは「流れ」だと言う。けれど私は、単に流されて決めたわけではないように思う。

大学からの推薦を断ったときも、行きたい場所があるから自分で別の道を選んでいる。

そんな小泉さんが就職する際に最終的に選んだのは本社ではなく、アルバイト時代から自分によくしてくれた人たちのいるフランチャイズ法人だった。

小泉さんが選んだのは、会社ではなく「人」だったのかもしれない。

小泉さん自身はそれを「流れ」と呼ぶ。けれどその流れのなかには人との関係を大切にする小泉さんなりの選び方があったように私には感じられました。

肩書や経歴だけでは見えなかった小泉さんの人間らしさが短い言葉のなかから少しずつ見えてきたことを素直にうれしく思う。

小泉さんの好きな言葉は「なんとかなる」。

最初は物事を成り行きに任せるような言葉にも聞こえました。しかし小泉さんが話していたのは、何もしなくてもどうにかなるという意味ではありませんでした。

どうしようもない状況でも「なんとかなる」と思えば、人はなんとかしようとする。自分が諦めてしまえば、その時点で物事は終わってしまう。

小泉さんにとって「なんとかなる」は、諦めないための言葉だったのだと思います。

私もいつかはそんなふうに「なんとかなる」と言える人間に近づきたい。

THANK YOU FOR READING

最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

心に残るものがあれば、「読んだよ」で知らせてください。



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「なんとかなる」——日々の選択を自分の答えにしてきた27年

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