小学6年生のとき、誰からも注目されていなかった野球チームで東京一になった。
けれど、その後も野球を続け、憧れていたアスリートへの道を歩んだわけではない。中学で出会った仲間や先輩の影響を受け、遊ぶ道を選んだ。高校を卒業せず、16歳頃には器物損壊で少年鑑別所に送られている。
建設業、調理師、会社員、そして現在のごみ収集。
仕事を転々としながら今は妻と4人の子どもを支える42歳の父親になった。
本人は自分を「何でも投げ出して、好き放題やってきた人間」と表現する。
一方で、本業の収入はすべて家庭へ入れ、休日には長男の野球へ付き添う。
趣味は今もギャンブルだ。人生最大の失敗も、最大の後悔も、ギャンブルに出会ったことだという。
後悔しながらも続けているものと、守るようになったもの。その両方を抱えながら、中田さん(仮)は今日も働いている。
中田さん(仮) NAKATA
42歳|東京都出身|ごみ収集作業員
建設業や中華料理店、会社員などを経て、現在はごみ収集の仕事に従事。本業を終えた後には、フードデリバリー配達員としても働いている。妻と4人の子どもを持つ父親。
「目先の光よりも、未来の光に望みを賭けろ。」
FROM VIETNAM TO JAPAN
誰も予想しなかった、少年野球での東京一位
東京都府中市で生まれ育った。
中田さんにとって府中は、競馬場などの施設があり、希少なムサシノキスゲが自生し、大企業も集まる「めちゃくちゃいい街」だ。
両親はともに公務員。姉は真面目に勉強を続け、大学へ進んだ。
一方の中田さんは、自分だけが家族と違う血筋のように感じていたという。
「両親は公務員で、世間的には硬いタイプ。姉は真面目に大学まで学業をやるタイプ。自分は何でも投げ出して、好き放題やる。よく『あなたは橋の下から拾ってきた』と言われました」
そんな少年が熱中したのが野球だった。
小学1年生から始め、中学2年生までクラブチームでプレーした。憧れの選手は松井秀喜。ポジションはセカンドで、打順は2番だった。
——野球で最も印象に残っている出来事は何ですか?
「一番は、小学6年生のときに東京一になったことです」
所属していたのは、周囲から注目されるような強豪チームではなかった。大会への出場も初めてだったが、予想を覆して頂点まで勝ち上がった。その活躍は新聞にも掲載されたという。
——チームが勝てた最大の理由は何だったと思いますか?
「弱いチームでも、楽しくやってたんじゃないんでしょうか」
厳しい練習や特別な戦術ではなく、中田さんが挙げたのは「楽しさ」だった。
LEAVING BASEBALL BEHIND
野球から離れ、遊ぶ道へ
中学では学校のハンドボール部にも所属していたが、クラブチームで続けていた野球は2年生でやめた。
中学で出会った仲間やクラブチームの先輩たちの影響を受け、野球よりも遊ぶことへ気持ちが向いていったからだ。
同じ頃、友人に誘われてパチスロを知った。
最初に夢中になったのは「シーマスター」。その後は「ハナビ」にのめり込んでいったそうだ。
16歳頃には、器物損壊によって少年鑑別所へ送られた。
家庭裁判所では、反省していないと判断され、このまま少年院へ送られると告げられたという。そこで母親が、息子を更生させるから家へ帰してほしいと必死に懇願した。その言葉を受け、中田さんはその日のうちに帰宅することができた。
——その出来事は、その後の人生にどんな影響を与えましたか?
「それがなければ、私の性格だと、今はまともに生きることはしてなかったと思います」
当時の自分について、中田さんは「やりたい放題やってた人生でした」と振り返る。
母親は男勝りで気が強い人だった。厳しい家庭で育ったと話す一方、人生を変えた恩人として、中田さんは亡くなった母親を挙げる。
自分が親となった今、尊敬する人も両親だという。
「自分が親になって、親の大変さが分かります」
A NEW PATH
建設業から、中華料理の世界へ
高校を卒業せず建設業の仕事に就いた。初めてのアルバイトはたこ焼き店だったという。
21歳頃になると調理師学校を卒業し、有名な中華料理店へ入った。
沖縄で飲食店を開きたいという夢を持っていた時期もある。
——これまで経験した仕事のなかで、最もやりがいを感じたのは何ですか?
「環境がひどすぎなければ、中華の調理師がやりがいありましたね」
やりがいを感じていた一方で、これまでで最も厳しかった仕事も調理師だったそう。
その環境から、約1年で退職した。
その後は再び定職に就かない時期を過ごし、20代後半から会社員として働き始めた。本人が「ブラック企業」と呼ぶ会社に約10年間勤務した後、現在のごみ収集の仕事に就いた。
WORKING FOR THE CITY
街のごみを集め、その後も働く
現在の仕事を始めて約5年になる。
午前8時から午後2時30分頃まで、社員としてごみを収集する。仕事は体力勝負だ。
——ごみ収集の仕事に、やりがいを感じることはありますか?
「やりがいはないです」
最初はそう答えた。
ただ話を続けると、以前の会社員時代とは違う反応も感じていた。
「前のサラリーマンのときよりは、住民のなかにも感謝してくれてる人はいるなぁとは思います」
生活のなかで必ず必要とされる仕事でも、毎日働く本人がそこに分かりやすいやりがいを感じるとは限らない。それでも誰かから直接かけられる感謝の言葉は残っている。
午後2時30分に本業を終えた後は、フードデリバリーの配達をしたり、ジャグラーを打ったりして過ごす。
本業の年収は、賞与を含めて約450万円。本業の収入はすべて家庭に入れ、フードデリバリーで得た収入を自分の趣味に使っているという。
GAMBLING AND REGRET
最大の失敗も、今の趣味もギャンブル
中田さんの話には、たびたびパチスロが登場する。
好きな言葉の一つは「信じる者にはランプが光る」。
今夢中になっているのはジャグラーで、もし理想を形にできるなら、メーカーで自分の考えた台を作ってみたいとも話す。
——これまでに、人生最大の挑戦と呼べるものはありますか?
「初代の『押忍!番長』で、一日に14万円やられたのが人生最大の挑戦かもしれません」
最もうれしかった出来事を尋ねると、長男の誕生と並んで、「ミリオンゴッド‐神々の凱旋‐」で1万7000枚を出した日を挙げた。
けれど、人生最大の失敗も、最も後悔していることも答えは同じだった。
——人生で最大の失敗は何ですか?
「ギャンブルに出会ったことです」
——後悔しているようですが、現在もジャグラーを続けています。この二つを、自分のなかでどう考えていますか?
「本業のごみ収集の稼ぎは、すべて家に。フードデリバリーの収入は、趣味としてジャグラーに使っています」
本業と副業の収入を分けることが、現在の中田さんなりの線引きになっている。
後悔しているから、やめた。そう単純に整理できる話ではない。失敗だったと思いながら、今も好きで続けている。それが中田さんの現在地だ。
LIFE WITH FOUR CHILDREN
4人の子どもがいる、戦争のような毎日
現在は妻と4人の子どもと暮らしている。
——4人のお子さんとの生活は、どのような毎日ですか?
「我が家の長男は元気なんで、何度も学校から連絡がきてます。家の中でも4人が仲良いということが少ないので、常に戦争です」
休日は、長男の野球と家族の買い物で一日が過ぎる。
長男はプロ野球を見るだけでなく、自分で野球をすることが好きなのだろうと父親は見ている。目標にしてほしい選手を尋ねると、大谷翔平の名前を挙げた。
「野球ももちろんですが、人としても一流なんで」
かつて東京一になった野球少年は、いま息子がプレーする姿を見守っている。
——子どもたちにはどのように成長してほしいですか?
「人を思う一人一人になってくれ、です」
自分の人生で最も大切にしているのは「感謝の気持ち」。
支えてくれる周囲の人たちに、いちばん感謝しているという。
妻へ伝えたい言葉も、飾り気のないものだった。
「大変な毎日だけど、ありがとうです」
TOWARD THE FUTURE
目先の光より、未来の光へ
中田さんの夢は、いつか沖縄でゆっくり暮らすことだ。
かつては沖縄で飲食店を開くことや、ダイビングのインストラクターになることも考えていた。
ただ現在は4人の子どもがいる家庭の生活で精いっぱいで、具体的な将来までは考えられていないという。
——今の自分に言葉をかけるとしたら?
「今じゃなく、未来を見ろ」
20歳の自分には「焦るな」。
未来の自分には「後悔しないで前に進め」
と伝えたい。
一見すると過去を悔やむ言葉が多い。
野球をやめたこと、好き放題に過ごしたこと、ギャンブルに出会ったこと。それでも中田さんは自分の過去を立派な物語へ変えようとはしない。
人は自分が思っているほど自分のことを見ていない。
何をしても否定する人はいる。そう思えば少しは楽に生きられる——。いま関心のあることを尋ねたとき、中田さんはそんな考えを話した。
——子どもたちへ伝えたい「人生」とは、どのようなものですか?
「人生とは、小さいことの積み重ねです。それを子どもたちに分かってもらいたいです」
小学6年生で手にした東京一という大きな結果。その後に重ねた失敗や後悔。そして、本業の収入を家庭へ入れ、午後からも働き、休日には息子の野球へ向かう現在。
中田さんの人生もまた、そうした一日一日の積み重ねでできている。
最後に、いまの自分へ伝えたい言葉を尋ねた。
「目先の光よりも、未来の光に望みを賭けろ」
取材後記
中田さんの回答は、決して過去を格好よく見せようとはしませんでした。
東京一になった野球少年が、遊ぶ道を選び、16歳で少年鑑別所へ送られた過去を語ってくれました。
ギャンブルを人生最大の失敗と呼びながら、今も好きな趣味として続けている。
言葉だけを並べれば、矛盾しているように見えるかもしれません。しかし人の人生は、
反省したからすべてをやめられる
親になったから過去とは別人になれる
というほど単純ではないのだと思います。
現在の中田さんは本業の収入を家庭へ入れ、仕事を終えた後も配達へ向かい、休日には息子の野球に付き添っています。それを立派な父親として美談にするのではなく、「好きなものも後悔も抱えたまま、4人の子どもを育てている現在」として伝えたいと考えました。
「人生とは、小さいことの積み重ね」。
この言葉は子どもたちへ向けたものですが、東京一という栄光も、過去の失敗も、現在の暮らしも重ねてきた中田さん自身の人生を表しているように感じました。


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未成年でもパチンコ店に入れるんですか?