——現在の仕事に、どんなやりがいを感じていますか?
「金」
小野さんの答えは一言だった。
——仕事をしていてきついのはどんなときですか?
「スロットを我慢しながら働くこと」
好きな言葉は「唯我独尊」。座右の銘は「一攫千金」。人生でいちばんうれしかった出来事には、20年以上前たまたま買った馬券で87万円を当てた日を挙げる。
小野さん(仮) ONO
49歳|沖縄県出身|フードデリバリー配達員
鉄筋工や新聞販売店の管理職などを経験し、現在は個人事業主としてフードデリバリーの仕事に携わる。19歳で父親になり、5人の子どもを育てながら働き続けてきた。
「私みたいになるな。若いうちから考えろ。」
沖縄県出身、49歳。現在は個人事業主としてフードデリバリーの仕事をし、妻と5人の子どもがいる。
言葉だけを拾えば、豪快で自分の欲望に正直な人に見える。
実際小野さんは自らの人生を「身勝手だった」と振り返る。
その一方で19歳で父親になってからの30年間を小野さんは「子どものために働いてきた人生」だったとも語っている。
自由に生きたいという思いと、父親として背負ってきたもの。
その両方を抱えたまま小野さんは今、5年後に訪れるという「自由人」の時間を待っているという。
YOUTH IN OKINAWA
仲間と遊び歩いた、沖縄での青春
幼い頃の小野さんはかなりの悪ガキだったという。
1歳から3歳の頃は、手にしたもので身の回りの物を叩き、よく壊していた。4歳を過ぎると年の離れた兄たちと野球やサッカーをし、釣りに没頭した。
本人の言葉を借りれば、「とにかく血気盛んな少年」だった。
小学生では野球に取り組んだ。高校に入るとソフトボール部とボクシング部に入ったがどちらも1年で辞めている。将来の夢を具体的に描くことはなかった。ただ、長渕剛のような歌手になってみたいと思った時期はあった。
やがて免許を取ると、毎晩のように仲間たちと街へ出た。
——これまでの人生で、特に忘れられない思い出はありますか?
「免許を取得したばかりの青年時代に、毎晩のように仲間たちとワイワイガヤガヤ遊びまくっていた思い出が忘れられません」
決まった仕事には就かず、10人ほどの友人とバイクや車で走り、街にいる女性へ声をかける。先のことよりその日の楽しさを優先していた。
その頃の仲間の一人は後にバイク事故で突然亡くなった。小野さんが「人生でいちばんつらかったこと」として挙げる出来事だ。
現在も連絡を取る幼なじみはいる。ただ、19歳で結婚してから遊ぶ頻度は週に一度ほどになり、30歳を過ぎて沖縄を離れてからは以前のように顔を合わせることもなくなった。
BECOMING A FATHER
19歳で父親になる
19歳のとき、交際していた女性との間に子どもを授かり結婚した。
小野さんはその選択を、自分の人生における「最大の失敗」「いちばんの後悔」と表現する。
——これまでの人生で、最大の失敗は何だったと思いますか?
「19歳で子どもを作ってしまったことですかね。それからです。日々、子どものことを考えながら生きる人生の始まりは。青春時代をもっと楽しめばよかったと後悔しています」
——いちばん後悔していることも、同じ出来事でしょうか?
「19歳のときにできちゃった結婚をしたことです。あれから私の人生は縛られました」
子どもの存在そのものを否定するにはあまりにも強い言葉だ。
一方で、小野さんが後悔として繰り返し話すのは、「何も考えないまま父親になり、自由だった青春が終わったこと」でもある。
その本心を外側から一つの意味に決めることはできない。
確かなのは、小野さんが19歳から49歳になるまで、自分は子どものために働いてきたと考えていることだ。
——これまでの人生で、いちばん苦労したことは何ですか?
「19歳から今まで、子どものために働くしか能のない人生を送ってきたことかな」
縛られたと感じながら、それでも働くことはやめなかった。小野さんの家族に対する思いは愛情や献身といった一つの言葉だけでは整理できない。
AIMING FOR THE TOP
鉄筋工として目指した、会社の社長
最初のアルバイトはガソリンスタンド。初めて本格的に就いた仕事は鉄筋工だった。
19歳から23歳頃にかけて、小野さんは鉄筋工事の会社を自分で持つことを目指していた。本人が「人生最大の挑戦」と呼ぶ時期である。
しかし、大手建築会社の倒産をきっかけに、鉄筋を取り付けるごとの単価が大幅に下がったそうだ。
——会社の社長を目指すことを諦めたのは、なぜですか?
「単価が下がってまであんな難儀な仕事を続ける理由がなくなったから」
——これまで経験したなかで、最もきつかった仕事は何ですか?
小野さんが挙げたのは鉄筋工だった。特につらかったのは夏だという。
「夏は死にます。溶けます。鉄筋でやけどする暑さです」
社長になる道を断念した後、小野さんは新聞販売店でも働いた。管理職として人を育て、組織を動かすことにはこれまで経験した仕事の中で最も大きなやりがいを感じた。
世話になった所長が引退し、新しい所長から提示された条件に納得できず退職した。
仕事に困っていた時期に声をかけてくれた、以前勤めていた会社の社長には今も恩を感じている。その後も仕事を続ける中、長年勤めた会社が倒産した。次の仕事を探していた小野さんが友人から稼げると聞いて始めたのが現在のフードデリバリーだった。

WHY I WORK
「やりがいは、金」
フードデリバリーでは働く時間も休む日も自分で決められる。
小野さんは家族との予定があるとき以外はほとんど休まない。目覚ましを使わなくても朝7時から8時頃には目が覚め、テレビでニュースを見ながらコーヒーを飲み仕事の準備を始める。
月の売上は最も多かったときで約96万円。現在も本人によれば厳しい月で60万円以上になるという。
やりがいは「金」。
きついことは「スロットを我慢しながら働くこと」。
冗談めいた答えにも聞こえるが、小野さんにとって稼ぐことは、家族を支えるための現実であり、自分の楽しみを手に入れる手段でもある。
新聞販売店では、人を育てみんなを動かすことに面白さを感じた。
だが現在は誰かを率いる立場ではない。一人で街を走り、動いた分だけ報酬を得る。
仕事の形は変わっても、条件に納得できなければ離れ、稼げる場所があると聞けば自分で動く。その判断の速さは、小野さんが昔から変わらず持っているものなのかもしれない。
PARENTING
子どもには、自分で準備させる
小野さんは5人の子どもを育ててきた。
——子育てで、よかったことや大変だったことを教えてください。
よかったこととして小野さんが挙げたのは、生まれたばかりの子どもが見せる笑顔だった。
「大変なのは当たり前だと思っていて、あまり気にして子育てに入れ込まないようにしていました」
子どもはすぐに大きくなる。だから親が先回りして何でも用意するのではなく、やりたいことは自分で準備し、目標を持たせる。それが小野さんの方針だった。
「親が何でもしてやると、子どもは基本馬鹿になりますよ」
乱暴な言い方ではある。
しかしその根には、子どもには自分で考えさせ、自分の人生を選べる人間になってほしいという思いがあるような印象を受けた。
——今、人生でいちばん大切にしていることは何ですか?
小野さんは「子どもの成長」と答え、その後に「自分の時間」と付け加えた。将来についても社会や政治には何も期待できないとしながら、子どもの成長とこれから生まれるかもしれない孫との時間は楽しみだという。
——子どもたちにはどのように成長してほしいですか?
その答えは小野さんらしく、素直な愛情表現とは少し違っていた。
「私が死んだ後、命日だけでいいから墓の前に来い。かな」
VIEW ON LIFE
60歳まで生きないという自己予想
小野さんは数年前、心筋梗塞で手術を受けた。
さらに自身の腎臓の状態から「60歳までには死ぬ」と予想しているそうだ。
ただし医師から余命を告げられたわけではなく、寿命については小野さん自身の判断である。
酒とタバコをやめるつもりはない。
「酒とタバコは一生やめることは無理だと思っているので、やめるぐらいなら死んだ方がいいと考える私です」
——今の自分に、一言かけるとしたら?
「少しは酒を控えなさい」
そう言いながら、すぐに「無理」と続ける。
80歳の自分に向ける言葉にも、長く生きる未来はほとんど聞かせてもらうことはできなかった。
「生きていることはないと思うが、もし生きているなら、死ぬ前に自分の人生で犯した過ちをみんなに謝罪しなさい。かな」
健康への不安を語りながら、生活を変える気はない。長生きを諦めているようにも、自分の生き方を変えられないことへの開き直りにも聞こえた。
ただ、本人の中では残された時間をどう使うかはすでに決まっている。
——いまの夢を聞かせてください。
「あと5年くらいで私は自由人になり、残りの人生を悔いなく楽しく生きるつもりです」
その「自由」が具体的にどのような生活を指すのかは、まだ語ることができなかったようだ。
TO MY FAMILY
家族への感謝と、謝罪
——いちばん感謝を伝えたい人は誰ですか?
小野さんが挙げたのは、実の母親だった。
「昔から馬鹿ばっかりやっている自分を今でもサポートして見守ってくれている」
両親へは自由に生きられたことへの感謝を伝えたいという。
「本当にありがとう。あなたたちのおかげで私は自由に生きてこられました。本当に感謝でいっぱいです。どうか私より長生きしてください」
姉やこれまで関わった女性たちへ伝えたいことを尋ねると、「お世話になりました。そして、ごめんなさい」と答えた。
——奥さんに今伝えたい言葉はありますか?
その答えも、謝罪から始まった。
「苦労ばかりかけてごめん。あと5年で私は旅立ち、自由人になる。ごめん、と伝えたい」
なぜ謝るのか。何をもって身勝手だったと考えているのか。小野さんはその一つひとつを詳しく説明してはくれなかった。
けれど、謝りたい相手の名前が次々に浮かぶこと自体が、小野さんの歩んできた人生の一面を物語っている。
A MESSAGE TO THE NEXT GENERATION
「私みたいになるな」
——20歳の自分に言葉を送るなら、何と伝えますか?
「人生を考え直せ。もっと考えろ」
——未来へ言葉を残すとしたら、誰に何を伝えたいですか?
三男に向けた小野さんの言葉は長い。
「私とお前は、立場的に甘やかされて育ったという意味で一緒だ。将来に向けて自分で考えて行動を起こしなさい。私みたいになるな。若いうちから考えろ。若いうちは遊びたい気持ちは分かるが、遊びながらも将来に向けてやることはやっておけ」
最後に、小野さんは自分自身の人生を総括する。
「私の人生は身勝手な人生でした。家族には迷惑ばかりかけ、私と知り合った女性のすべてに後悔させた情けない父親だ。だから三男坊であるお前には私みたいにはなってほしくない。とにかく計画を立てて、考えて生きていきなさい」
計画を立てず、その時々の気持ちに従って動いてきた。
本人はそう振り返る。
それでも19歳で父親になった後、働くことをやめなかった。社長を目指し、諦め、仕事を変え、家族を養いながら49歳まで来た。
「縛られた」・「子どものために働いた」・「身勝手だった」
けれど、「子どもの成長が大切」。
小野さんの中には、相反するように見える言葉が同時にある。
どちらも本心であり、どちらか一つに決める必要はないのだろう。
——今、生きづらさや悩みを抱えている読者へ、小野さんなりのアドバイスをお願いします。
「悩むぐらいなら吸え、飲め、打て、そして働け」
酒やタバコ、ギャンブルを勧めること以上に、その言葉には悩み続けることが嫌いな小野さん自身の性格が表れている。
悩んでいてもいずれ答えは決めなければならない。酒を飲みながらでもいい。身体を動かしている間は悩まずに済む。だから立ち止まり続けるより、まず動け。それが小野さんなりの考えだ。
あと5年で自由人になるという小野さん。その先にどのような時間が待っているのかはまだ分からない。
ただ、自分と同じ生き方をしてほしくないと願う三男には、若いうちから考え計画し、自分の手で人生を選んでほしいと思っている。
それは自分の過去を後悔する父親から息子へ渡せる、小野さんなりの教訓なのかもしれない。
取材後記
「やりがいは、金」
「私みたいになるな」
「あと5年で自由人になる」
どの言葉も迷いがなく、綺麗に整えようとすれば小野さんらしさそのものが失われてしまうように思いました。
言葉だけを切り取れば、身勝手な人に見えるかもしれません。
しかし質問の答えを一つずつたどっていくと、19歳で父親になってから5人の子どもを育てながら30年間働いてきた時間があります。
家族に縛られたと話しながら、子どもの成長を何より大切にしている。自分の人生を身勝手だったと振り返りながらも、息子には同じ後悔をしてほしくないと願っている。
その矛盾を無理に整理せずそのまま伝えることが今回の取材では大切だと感じました。
人の人生は、立派だったか、間違っていたかという一つの言葉では語れません。小野さんの率直な言葉からは、不器用さも後悔も、父親として過ごしてきた時間も伝わってきます。
この記事を通して読者の皆さんが小野さんを評価するのではなく、一人の人間が歩んできた人生として受け取ってもらえたらうれしく思います。


コメント
コメント一覧 (2件)
個人事業主は色んな保証が無いと思いますが、何か対策はしていますか?
ご覧になって頂き有難う御座いました。
正直な所、対策と言う程ではありませんが、社会保障のような恵まれた保証は難しいとは思っています。
私の場合は、個人に対しての保証はあまり気にしてませんが、家族の将来の為に色々な保険に加入はしております。
正直な所、個人事業主は国からの保証に関しては期待は出来ませんし、各自で計画を立てて行くしか方法は無いと思っています。むしろ私も良い対策方法などがあるのであれば、是非教えて頂きたい所存でございます。